禅/坐禅会

油で油を洗うと一向に綺麗にならないと同じで、心も考え方で解決しようとすると知識で知識を追う為、心の問題に決着がつきません。
禅は心に起こる問題を、さてどうしようか?と相手にするのではなく、静かに坐ることにより、心の問題を放っておける様、作法や坐禅に身を任せ修行することです。
禅はこれから学んで習得するものではなく、修行(実践)を通して『既に救われている自分』に習うことをいいます。


修行

仏道の修行は、まず初めに、考え方で生活する事から離れ、言われたまま生活することから始まります。修行道場で初心者は、まず東司作務(トイレ掃除)から始めます。便器を雑巾で舐めるが如く素手で拭きます。文章を見るがぎり不潔なイメージがあるかと思いますが、人間の分別の心を持って修行するのではなく、言われた通りに只やることが、のちに理屈を離れた生活になっていることに繋がる大切な実践です。修行が厳しく感じるのも、己の分別心が今までの生活と比べる為、ツラく厳しく感じるのです。


坐禅

道元禅師の説かれた坐禅は漢字が『座』ではなく『坐』を使います。


なぜ静かに坐るのか?

今の自分の心の状態が、静かに坐ることにより如実に表れます。
普段の生活で分別の傾向が強い人程、静かに坐ると色々なものが頭に浮かんで来ます。
禅というと“無“になれとか言いますが、色々頭に浮かんでも逆らうことなく静かに坐ることで、回を重ねると自然と落ち着いてきます。

※補足ですが、無になれとか、無を意識して坐ることも余分な考え方の一つです。伝承を受けた方に付き修行する事が一番です。


悩み

悩みの根源は、自分の考え方で(自分の分別)起きている事を知識で追うが為、心が不自由になるのです。


少林寺住職 貫山合掌

坐禅指導 完全予約制10人まで。

会費:1,000円